ピザまんて言ったはずだけど肉まん渡された

店員さんから「酢醤油等どうしますか」と聞かれた時点で言えばよかったんですがね。

でも自分の口からちゃんとピザまんって言ったかどうか自信なくて、朝の忙しい時間帯だし、まぁ肉まんでいいかってそのままコンビニを出ました。

でもどうせ肉まんなら酢醤油欲しかった。

あと久しぶりにセブンコーヒー飲んだら、機器の洗いが不十分のようで出涸らし豆の味が凄くします。

久しぶりのセブンは何だか色々残念でした。




さて。

遠方に住む父方の伯母夫婦が法事のために実家に来てたんだが、伯母にほんのりと認知症の症状が出ていて驚いた。

伯母は元々、なんというか、邪気の塊。年取ってからは自分のコントロールが効かず気に入らないことがあると喚き散らすなんてことがままあった。

そんな伯母、今回久しぶりに会ったら、邪気がなかった。

あまりに無邪気な笑顔で、うちのもうすぐ2歳になる娘を見て可愛いと連呼していた。

私の知る伯母なら、一応可愛いと褒めてから、「うちの子(息子孫)もね!」と身内自慢が始まるのに、ひたすら可愛いと言い続け、滞在時間3時間ほどの間に「何歳なの?」という質問を5回ほどぶつけてきた。

こちらが一応答えるたびに「え〜こんなに小さいの!凄いねぇ賢いねぇ可愛いねぇ」と毎回新鮮な反応。

あぁ…これはガチだ。

邪気たっぷりの伯母を見てきたから、この変化はなかなかショッキングだった。

私、悪役は最後の最後まで悪役でいてほしい派。

だって悪役なりに苦悩があってそれであんなことしてたとか言われると私、おバカだから絆されて許してしまう。

どうして悪役なのに情に訴えるようなことをするのか。悪役なら悪役らしく矜持を持って華々しく散ってほしい。

…まぁフィクション上の好みなのでそれを伯母に押し付けるのも可哀想か。


実は伯母、まだお姑さんがご存命。そのお姑さんとは昔から折り合いが悪い。

なのに、そのお姑さんより先に認知症の症状が現れてしまったというのだから何とも言えない。

正直、伯母のあの姿を見ておらずただ現状だけ知らされたなら「因果応報!」と言ってのけられるくらいにはまぁまぁ伯母は強烈な邪気ババァだった。

が、前情報なく認知症の現れた伯母を見た私の母が先に「認知症が…」と神妙な顔で言ってきた。

因果応報という言葉が勿論浮かんだが、私の母は、邪気伯母の一番の被害者(伯母家族除く)と言ってもいいような人で、その母がショックそうな顔で言ってくるのだから何も言えなかった。

まぁ、邪気伯母と言ってもいつでも四方八方に邪気飛ばすような人ではなく、偏ったものの見方や考え方によりやらかすというような人で、普段の生活で接してる分には普通のおばちゃんだった。

そのやらかすっていうのがまぁまぁ過激だったという話なんだが、そういう訳で親族中で「この人には何言っても無駄だからとりあえずハイハイ言うとこ」みたいな空気があった。

母が一番の被害者というのも、自分が大好きな実家に入った弟嫁、しかも父より9個下の若い若い女、目の敵にされる瞬間があっても不思議じゃなかった。

とはいえ普段は普通のおばちゃんだったので母ともそれなりに仲良くはしていた。まぁ…お互い腹黒いとこがあるから…腹の底ではクソみそだったとは思うが。

母は何だかんだ情に厚い人(自分では否定している)ので、あんだけ強かった伯母の弱った姿を見てショックだと何度も言っていた。

実は我が家、10年以上前の話だが祖父が認知症を発症し、しばらく自宅介護をしていたことがある。

その祖父の認知症が出始めた頃と今の伯母がよく似ていると母は言う。

確かに最初は頻発する物忘れだった。そして本人から「もうボケよるごた」という発言。

まだ自覚のある部分での激しい物忘れ。そう、祖父もそうだった。

当時、まだ祖母も元気で高齢者向けのサービスやら何やらに疎かったし、どこの何の病院に連れていけばいいかもわからなかった。

確か脳外科に連れていったりはあったみたいだが、思うような改善はなかった。

そうこうしている内に認知症はひどくなり、祖父は、かなり暴力的になった。

いつもニコニコで穏やかな顔をして新聞を読んでいた祖父。

その祖父が、毎日険しい顔をして気に入らないことがあると殴ったり壊したり、新聞も誰が亡くなったと書いてある欄しか読まなくなった。

前頭側頭型認知症というのが祖父の認知症だった。

暴力的になったのは勿論だが、それよりもっとショックだったのは、私と母のお風呂を覗こうとするようになったことだ。

母はひたすら気持ち悪いと言っていたが、私は気持ち悪いよりショックで悲しいの方が大きかった。

からしたら血の繋がらない義父。でも私からしたら血の繋がった幼い頃からたっぷり可愛がってくれたじいちゃん。

そんなじいちゃんから女の体だと思われてしまったことがひどくショックだった。

覗かれたくなくてお風呂の鍵を掛けたりしても、必死に開けようと破壊せんばかりに扉をガチャガチャしていた。

泣きながら開けると、私の姿を見て祖父はふいっと背を向けて去っていく。

まぁ当時は祖母(この人も中々強烈キャラだがそこは置いといて)がギャンギャン怒鳴って私や母が風呂に入ってる時は睨みを効かせてくれるようになったので、毎日のことではなかったんだが。

徘徊もあったし、一度は数時間だけだが行方不明にもなった。

施設に入れても暴力的すぎてやっぱり預かれないと拒否されたことも何度かあった。

母が主に介護をしていたが、あの頃はなかなか家庭内が荒んでいた。しかもまぁその荒んでる家庭内を引っ掻き回すように伯母もやってきて…これは長くなるからやめておこう。

とにかく、上手に対応してくれる施設に奇跡的に出会えるまでの数年間、我が家は本当に大変だったのだ。

本当にあの施設には感謝しかない。あの暴力的で他の施設から拒否されてた祖父のことを「たまに職員へ暴力行為はありますけどちゃんと対応は出来ますし、普段は穏やかに決まったソファーに座って過ごしてありますよー」とのことだった。

最後に祖父に会ったときは痩せて小さくなって寝てるんだか起きてるんだか分かんないようなボーッとした顔をしていたが、険しい顔で暴れ散らかしてたときの祖父よりずっと、私の知ってる祖父に近い穏やかな顔をしてた。

祖父にはギリ結婚報告だけは出来たかな。

(余談だが、祖父が亡くなった月に第一子を妊娠してた。じいちゃんが連れてきてくれた子だと勝手に思ってる)


…とまぁ認知症の祖父の介護は、私は全く主体的ではなかったもののとにかく大変であった。

それもあり、伯母の認知症の兆候は見て見ぬふりは出来ないと、伯母の娘に電話をした。

家庭内でも伯母がどうやらきているようだというのは分かっていたらしいが、昔の我が家と同様にどうすべきかと戸惑ってる最中だったらしい。

こういうのはとりあえず、実の娘が居るならそちらからアプローチする方が聞いてくれるだろうとのことで、うちの両親からまずは病院へという話をしたそうだ。

娘(私からすると従姉)も、病院の目処はつけていたもののやはり二の足を踏んでいたようだ。わかる。しかし今回近しい親族からの進言ということで、すぐに連れて行ってみると言ってくれたらしい。

今はネットで何でも簡単に調べられる時代だ。ネットの情報を全て鵜呑みには出来ないが、どこに行けばいいか、病院はどういうものがあるのか、という指針だけでもわかれば行動はしやすいと思う。


伯母の認知症発症について、母は「きっとストレス溜めてたんやろうねぇ」と言ってた。

一概にそうとは言えんだろうが。
折り合いの悪い姑が自分が70を過ぎてもまだ元気で、同居している息子家族も居て、昔はそれなりに裕福だったが夫である伯父が定年迎えてから思うようにお金を使えず、また元々被害妄想も強めの方だったので何でもマイナスに考えがち。

…と思うと、それもまた要因の一つかもしれんなとは思った。

特にお金がなければ、大好きな実家のある九州になかなか帰れない。まぁ去年まではコロナもあったけど。

伯母は伯母で追い詰められていたのかもしれないな。

なんて考えると、邪気伯母を許してしまいたくなる。いや別に私は許す許さないの立場では勿論ないんだけど。

ただやっぱうちの家庭内を引っ掻き回した実績があるからそこについては実家の一員としてちょっとテメェコラくらいは思っていたというか。

…まぁ…伯母含めこれから伯母家族たちは大変になると思う。

私からは何も出来ないが。心からエールを送る。